内浦の風景を見られる城跡!
昭和63年に国の史跡に指定された長浜城は戦国時代の関東を治めた北条氏の水軍根拠地である
なお、この城跡は「ぬまづの宝100選」に選ばれている
なぜ北条氏の城が沼津の内浦に?
長浜城が本格的な水軍城として使われたのは
戦国時代に武田氏が狩野川河口に三枚橋城を築き、牽制した時だった
北条氏は伊豆国の中で最も重要であった韮山城を守るため、たくさんの城を築城・改修した
その中の一つが長浜城
そこに北条水軍の大将である梶原景宗を呼び寄せ、北条水軍の主力を集結させた
北条水軍が小田原に集結した後の長浜城を守ったのは、大川兵庫を中心とする地元住民だった
その後兵庫の子孫はこの地の津元(網元)として栄え
大川家に残された古文書は、「豆州内浦漁民史料」として近世漁業の実態を知る上で貴重な材料となっている
この長浜城は通称城山と呼ばれ、以前は三井家の別荘が建っていたが
昭和40年代に取り壊された後は荒れていた
戦国時代の水軍の拠点は島に築かれていることが多いが、ここは山城の特徴を備えた全国的にも珍しい城である
なお、戦国時代に築かれた城の多くは山城
水軍のための海の城と、従来の山城の特徴を併せもち、海側と陸側で見所が異なっている
山城では、野山を削り、またその土を積んで、曲輪(くるわ)と呼ばれる平場(ひらば)をつくる
曲輪は複数つくられ、その間に堀と土塁をつくる。堀は、地面を掘り込んだ空堀で、土塁は堀を掘った土を積み上げた土手
空堀と土塁はセットになっており、敵の侵入を防ぐために大きな効果がある
4つの曲輪と15の腰曲輪の他、曲輪上の土塁跡や6基の掘切等が確認されており、曲輪の一つ一つは小規模であるが、戦国時代後半の特徴的な防御構造を見ることができる
船の事について
農協直売所店の近くに大きな板がある
そこにあるのはとある船の模型――
それは戦国時代後半に登場した軍船、安宅船
全長25m前後だとされ、東国にあった軍船を圧倒する存在だった
大形で安定感があり、楯板と呼ばれる装甲板が船体を覆い、そこには、矢や鉄砲を放つための窓が備えられていたという
さらに、北条水軍は安宅船だけでも10艘あったと伝えられている。
上まで向かうと、淡島や港の船等が見える
内浦全体を見たいというのならここが一番オススメ
潮風とともに海や島の景色を見るのは最高である
天気が良ければ富士山も見えるのでぜひとも行っていただきたい
北条水軍祭り
戦国時代のサムライがタイムスリップ!?
ドーン!
銃声がまるで何かを祝福するかのように鳴り響き、人々はその銃声に魅了される
5月あたりに行われ、長浜城が史跡公園として整備されたことを記念した祭り
内浦地区の2つの会場でイベントを行う
長浜城のところでは甲冑隊による演劇や鉄砲隊による火縄銃の演武、甲冑隊による史跡案内や記念写真撮影会、ワークショップ等が開催される
本物の甲冑を来ているので、戦国時代の武士達の雰囲気を感じることが出来るという、歴史好きにはたまらないイベントだろう
・参考
長浜城パンフレット
静岡新聞SBS
セレヤの山の下で