芹沢光治良記念館とは
その名の通り沼津市にある文豪・芹沢氏の記念館で
彼の作品や写真などを展示している施設だ。
(※展示内容は時期により異なる)
1970年5月30日に芹沢氏の友人、岡野喜一郎氏(元スルガ銀行会長)が財団を設立し
「芹沢文学館」として創立。
2009年4月1日に財団法人井上靖文学館から沼津市に寄贈され、同年10月1日に記念館として開館。
建物は菊竹清則氏によって、西洋の教会をモチーフに設計されている。鉄筋コンクリート2階建ての、左右対称構造をしている。
◆二階の展示室は、市民ギャラリーとして沼津の様々な文化に関する企画展示を行っているので、芹沢光治良の展示を終えたら忘れず行っておきたい場所だ。
◆屋上テラス(晴れの日のみ開場)は、我入道海岸から駿河湾までを一望できる。
また冬期に入ると、開館時間内で、夕景が楽しめる。
芹沢光治良って?
芹沢光治良とは――
・静岡県、沼津市出身の作家
・『巴里に死す』、『サムライの末裔』などの著作が世界的に知られている
・少女文学の先駆けでもある
生い立ち
元は自身の生い立ちから、貧しい人を救おうと国家公務員になるが現状を変えられない現実を目の当たりにし、自分を見つめ直そうとフランスに留学。
しかし、当時不治の病とされていた結核を患ってしまいスイスの高原で療養することになる。
療養中に自身を見つめる機会ができた光治良は、昔から好きだった小説を書く仕事、また自分の生きた証を残せる作家になろうと決心する。
どんな作品を書いたか
彼が結核の療養を終えて初めて書いた『ブルジョア』は懸賞小説で一等の賞をとり、第二次世界大戦中に発表した『巴里に死す』はフランス語に訳され、海外の読者に大きな反響を起こした。
戦争への反省を込めて書いた『サムライの末裔』は原子爆弾の恐ろしさを扱った作品として評価を受け、フランス友好国際大賞を受け、またノーベル文学賞候補作品にも挙げられた。
また読み物がなくて気の毒に思った光治良が自分の娘達に向けて書いた短編小説が少女文学を書くきっかけとなり、後に日本初の少女文学の祖としても広く知られるようになる。
沼津市芹沢光治良記念館
・住所
〒411‐0823
沼津市我入道曼陀ヶ原517‐1
・TEL
055‐932‐0255
・E-mail
kojiro@city.numazu.lg.jp
(NUMAZU CITY OFFICIAL WEB SITE参照)